改正障害者差別解消法が、令和6年4月1日に施行され、
私立学校でも、合理的配慮の提供が努力義務から法的義務に変更されました。
国公立学校は平成28年から法的義務化
合理的配慮を理解するためには、「障害の社会モデル」を理解する必要があります。
このコラムを読むと、障害について、人について、自分について考えることができます。
内容が理解しやすいように、理論的背景を省略しています。
詳しく学びたい方は、最後に紹介している書籍を参照願います。
このコラムは約3分で読めます。
1 障害の個人モデル
まずは、個人モデルから考えてみましょう。
医学モデルとも呼ばれています。
「障害」は、個人の心身機能が原因であるという考え方
障害は個人のものだから、
障害のある人が、治療やリハビリなどによって、
障害を乗り越え社会に適応する という考え方です。
障害は個人のものだから、
障害のある人が、治療やリハビリなどによって、障害を乗り越え社会に適応する
という考え方です。
次の2人の児童生徒を、イメージしてください。
障害のあるAさんは、障害を克服しようと、我慢強く、努力する
障害のあるBさんは、しっかりとした態度で、自分への配慮を求める
マスメディアが取り扱いがちなのは、どちらでしょうか?
私たちの社会は、我慢強く努力するAさんに感動する一方で、
しっかりと主張するBさんに気持ちが冷める傾向があります。
障害のある人に対して、「けなげに努力する」「控えめ」というイメージをもって、
その枠にある人に対しては、優しいのですが、
その枠をハミ出す人に対しては、抵抗感を抱き、冷たくなります。
そこには、個人モデルの障害観がひそんでいます。
個人モデルは、障害を個人のものと捉え、
「(個人に)障害があっても努力している」
「(個人に)障害があって助けを求めている」
と考えますが、
「(個人に)障害があるなら、努力しようよ」
「(個人に)障害があるから、諦めないと」
「(個人に)障害があるなら、我慢しなきゃ」
とも、考えます。
障害を、個人に押し込める考え方です。

2 障害の社会モデル
現在は、こちらにシフトしています。
障害者権利条約、障害者基本法の基盤となっている考え方です。
「障害」は、個人と社会との相互作用が原因であるという考え方
「障害」は
個人と社会との相互作用が原因であるという考え方
例えば
- 車いすユーザーの児童生徒にとって、学校にエレベーターがあり、玄関や廊下に段差が少なければ、不自由であるという「障害」は軽減される
- 視覚障害や聴覚障害のある児童生徒が、受験時に拡大問題冊子や手話通訳士等の配置を利用し、不自由なく試験を受けることができた例はめずらしくない
このように、「障害」の重い/軽いは、暮らしている社会や環境しだいで、大きく変わりうるものです。
つまり、
「障害」は個人ではなく社会にある
それは、
多数を占める人に合わせて作られた社会であるため、
障害のある人にとって、さまざまな社会的障壁(バリア)がある ということです。

(1)社会的障壁(バリア)とは
以下の3つから、社会的障壁(バリア)を感じ取ることはできますか?
- 児童生徒は、黒板の内容をノートに書き写し、あとで学習を振り返る
- 児童生徒は、全校集会の前、休み時間をつかって体育館へ移動する
- 児童生徒は、学校の図書室や地域の図書館から、好きな本を選んで読む
ノートに書き写す、短時間で移動する、好きな本を読む
これらは、誰でもできることではありません。
障害のある人にとっては、社会的障壁(バリア)が存在するものです。
しかし、多くの人にとっては、想像しなければ、社会的障壁(バリア)に気づくことができません。
なぜなら、多くを占める人に合わせて作られた社会だからです。
これは「透明の自動ドア」でたとえられます。
マジョリティの前ではどんどんドアが開き、そこにドアがあることさえ気づかずに進んでいけます。
マイノリティの前ではドアが開かないので、ドアの存在を強く感じます。
障害のある人は、社会の構造によって、参加や利用などの権利が奪われています。
障害のある人は
社会的障壁(バリア)によって権利が奪われている

(2)合理的配慮に対する誤解
私たちの社会には、社会的障壁(バリア)を取り除き、奪われていた権利を回復する責務があります。
その方法が、「合理的配慮」の提供 です。
そのため、次のような考えは「合理的配慮」に対する誤解です。
- 障害のある人に何かをしてあげること
- 思いやり、やさしさ
- 余裕があれば行う追加サービス
「合理的配慮」は、大変だから助けるというものではなく、
社会にあるバリアを取り除くものです。奪われていた権利を回復するものです。
対話によって、共に解決策を検討していくことです。
合理的配慮は
「思いやり」ではなく
「権利の回復」
思いやりなら、法的義務にはならない
参考:内閣府のリーフレット

社会モデルの優れている点は、障害を個人の問題として押し込めるのではなく、
社会の問題として解決していこうという発想につながることです。
3 社会モデルを補足する考え方
ここまで理解すると、1つの疑問が生まれてきます。
社会的障壁(バリア)がすべて無くなったら、障害はなくなるのか?
そのようなことはないはずです。
障害のある人にとって、心身機能の不全との闘いは続きます。
個人的な心身の痛みは、本人にとっての障害として、そこにあるのです。
そのため、社会モデルだけで障害のすべてを捉えようとすると、
障害のある人の個人的な気持ちや体験が、見えなくなってしまうという課題が生まれます。
社会モデルは、人権を保障するための重要な考え方です。
それに加えて、個人的な心身の痛みに耳を傾け、想像することも、障害の理解に必要と考えられます。

4 「障害」という言葉について
(1)「障がい」という表記
「害」の字が良くないとして、「がい」に変えた表記です。
負のイメージを抱かせないための変更で、配慮のある表記だと考えられます。
ところが、「害」と「がい」のどちらを支持するのかは、障害のある人のなかでも、意見が分かれています。
理由は、障害の社会モデルです。
社会モデルは、「障害は個人ではなく社会にある」と考えます。
そのため、社会にある「障害」を、ひらがなにすることで、無いものにするのはおかしいのです。
社会の問題としての意識が低下しては困る ということです。
表記の統一は決着がつかず、議論が続いている状態です。

(2)精神医療の診断名は「障害」から「症」に
一方、精神医療の診断名は、「障害」から「症」に変更されました。
例えば
- 自閉スペクトラム障害 自閉スペクトラム症
- 強迫性障害 強迫症
- 摂食障害 摂食症
(これは診断名ではありませんが、発達障害 神経発達症)
DSM-5(平成25年に日本語訳)、DSM-5-TR(令和4年に日本語訳)で変更
そのため、診断名で「障害」という言葉が、あまり使われなくなっています。
この変更によって、児童生徒の診断名に、本人や保護者が大きな衝撃を受けることが、
少しでも減ることを願っています。
「しかし、社会モデルでは」と言わないでくださいね・・・。
学校の先生が、診断名を口に出すときは、医師から出された診断名を、そのまま使用します。
勝手に「〇〇障害」を「〇〇症」と変えるのは、やってはいけないことです。
もし、児童生徒や保護者から「ネットで調べたら、今は〇〇症と言うようです」と言われたら、柔軟な対応が必要かもしれません。
文部科学省は、令和7年の時点で「発達障害」を使っています。
そのため、ほとんどの公立学校は、手続きや記録等では「発達障害」という表現を使用しています。
(参考)発達障害者支援法の定義で使われている言葉が、「発達障害」「自閉症」「注意欠陥多動性障害」「学習障害」
また、現在の高等学校の「保健」では、精神疾患について学習することになっています。
高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 保健体育編から抜粋すると
「また、うつ病,統合失調症,不安症,摂食障害などを適宜取り上げ・・・」
こちらは、当時の診断名(DSM-5:平成25年に日本語訳)に準じているようです。

まとめ
- 障害の社会モデルは、「障害は個人ではなく社会にある」という考え方
- 障害のある人は、社会的障壁(バリア)によって権利が奪われており、権利を回復するために「合理的配慮」がある
- 社会モデルを理解することとは別に、「障害」という言葉は、相手に配慮して使う必要がある
- 障害の社会モデルは、障害以外にも、性的マイノリティや外国にルーツがある児童生徒など、さまざまなマイノリティに共通する考え方である
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!