これは教師の基本姿勢と言いたいところですが、現実には、なかなか難しいようです。
指導力のある先生であっても、尊重に欠ける言動が見受けられ、ガッカリすることがあります。
ただ、このようなテーマは、学ぶ機会が少ないのではないかとも考えられます。
このコラムを通じて、先生としての自分自身の在り方を再確認し、新たな視点を得ていただければと思います。
内容が理解しやすいように、理論的背景を省略しています。
詳しく学びたい方は、最後に紹介している書籍を参照願います。
このコラムは約3分で読めます。
1 児童生徒は、大人と同じ一人の人間
次の職員室をイメージしてください。
- 校長先生は、教職員を呼ぶときに、敬称(先生、さん)を付けない
- 朝、教職員が「おはようございます」と挨拶すると、教頭先生は「おはよう」と返す
- 業務が完了していない先生は、教頭先生から名前を呼ばれる
- 校長先生が、教職員に「早く移動しなさい」「静かにしなさい」と注意する

どのように感じますか?
・・・
「ありえない!こんな管理職と一緒に働きたくない」
「ハラスメントでしょ、感覚がおかしい」
いろいろな感想がありそうです。
では、次の教室をイメージしてください。
- ある先生は、児童生徒を呼ぶときに、敬称(さん)を付けない
- 朝、児童生徒が「おはようございます」と挨拶すると、ある先生は「おはよう」と返す
- 提出が完了していない児童生徒は、担任の先生から名前を呼ばれる
- ある先生が、児童生徒に「早く移動しなさい」「静かにしなさい」と注意する

人物が変わりました。
どのように感じますか?
・・・
「このような対応は、やっぱり良くない」と思いますか?
それとも、「何が問題なの?」と思いますか?
ここで考えていただきたいことは
大人だと問題になることを
児童生徒にしているときが
ありませんか?
管理職の皆様、イメージによる実験ですので・・・ご容赦ください。
児童生徒を一人の人間として尊重していたら、
大人にできないことを、児童生徒にするわけがありません。
先生と児童生徒の関係だから、許されることだと思っている方はいますか?
それは許されているのではなく、児童生徒が我慢しているだけですよ。

「させる」という表現について
学校現場の先生同士の会話で、よく使われる表現です(もちろん、児童生徒には言いません)。
例えば、「体育館に整列させる」「課題をやらせる」
とても違和感のある表現です。
学校には、先生が指示・命令し、児童生徒が従うという文化が、根強く残っています。
そもそも、人が他の人に「させる」ことが、できるのでしょうか?
児童生徒の体を台車に乗せて、体育館に連れて行ったり、
ペンを持っている手を、先生が持って動かしたり、
それであれば「させる」という表現が正しいのかもしれません。
でも、行為は正しくありません(笑)
自分の感覚を鈍らせないためにも、「させる」という表現は使わないことをお勧めします。

2 どのような時も、敬意と配慮を持つ
学校現場では、児童生徒のさまざまな問題行動が発生します。
そのため、時には問題行動を起こした児童生徒に、厳しく指導せざるを得ない場合があります。
しかし、この時、厳しさを強調しすぎると、
児童生徒に対する敬意と配慮が欠けた対応になってしまう危険があります。
指導を受ける児童生徒は、表面上は分かりにくいものの、多くの不安を抱えていることがあります。
例えば
- 他の児童生徒や先生からどう思われるか、嫌われないか
- 保護者から厳しく叱られたり、迷惑をかけたりしないか
- 今後、学校に登校し続けられるか、将来に悪影響を残さないか
このような不安があるから、素直に自分の過ちを認めることが難しい場合も多い
児童生徒を一人の人間として尊重する先生は、厳しく指導する場面でも、常に敬意と配慮を忘れません。
そして、上記のような不安に対して、次のように対応します。
- 成長を期待していることを伝える
- 行動に問題があったが、本人を悪い人だとは思わないことを伝える
- 素直に反省している態度を肯定する
- 保護者にも敬意を払い、丁寧に説明する
また、言葉だけでなく、先生の口調や態度、行動にも丁寧さと温かみが表れます
どのような時も、児童生徒を尊重する姿勢を崩さないことが大切です。
特に、問題行動を指導する場面では、敬意と配慮を意識して、慎重に言葉を選び、丁寧に指導する必要があります。
これは「優しくすればいい」という話ではありません。
人が成長するためには、厳しさと温かさの両方が必要です。
そして、本人が自己評価を下げているときこそ、大人から大切にされているという感覚が必要であり、
人として尊重する態度が求められる場面です。
人間は、失敗や過ちを繰り返しながら、成長します。
「人間として尊重する」とは、「失敗や過ちも含めて、人間の成長を尊重する」と言い換えることができそうです。
特に、問題行動を指導する場面では
敬意と配慮を意識する
文部科学省の調査では、令和4年度から「自殺した児童生徒が置かれていた状況」の項目に「教職員による体罰、不適切指導」が追加されています。

3 児童生徒の現状の必然性を受け止める
人には、それぞれ事情(物事がある状態に至るまでの理由や背景)があります。
それを理解せずに、「あれが問題」「こうすればいい」といった発言をすることは、
人を尊重する態度とは言えないかもしれません。
例えば
例1
ADHD傾向があり、忘れ物や多弁がよく見られる児童生徒について、
「自分の特性を理解して、支援を受ける必要がある」と言うのは簡単ですが、
苦手なものに向き合うことの難しさや、
自分だけが支援を受けることのつらさが、理解されていないことが多い
例2
友だちに気を使い過ぎて、自己表現が苦手な児童生徒について、
「自分の考えをしっかりと言えるようになるべきだ」と言うのは簡単ですが、
背景にあるかもしれない過去の傷つきや、
本人の対応によって今の状態が形成されたことが、理解されていないことが多い
例3
亡くなったきょうだいへの悲しみに揺れる児童生徒について
「早く乗り越えて、生活を立て直す必要がある」と言うのは簡単ですが、
本人が抱えているきょうだいへの深い思いや、
「乗り越える」という言葉が持つ厳しさが、理解されていないことが多い
まずは、その児童生徒の立場に立とうと努め、
事情(物事がある状態に至るまでの理由や背景)を受け止めることが必要です。
おそらく、本人の思いを知れば知るほど、「こうすればいい」と簡単に言えないことが見えてくるはずです。
一人の人間が悩んでいるのですから、簡単なことではありません。
「複雑なものを、(整理して)複雑なまま理解しよう」と心がけることで、
誠実な態度で、相手のありのままの状態を受け止めやすくなります。
そうすると、簡単ではないと思っていたものが、少しずつ変わり、
相手を理解しようとする姿勢そのものが、支援となっていることに気づけると思います。
実は、多くの児童生徒は、一人の人間として尊重された経験があまりないのです。
そのため、「こんな先生(大人)に出会ったのは初めて」といった感動の言葉が、語られることもよくあります。
人は、自分を理解されたとき
一人の人間として尊重されていると感じる

4 人を人として遇する
臨床心理士の村瀬嘉代子先生は、「人を人として遇する」という基本姿勢の重要性を説いています。
引用すると
援助者の基本姿勢としては第一に、被援助者が幼い子どもであれ、きわめて重篤な状態にある人であれ、社会経済的背景に隔たりなく、人として遇する、人格を認める、という姿勢を持つことである。社会通念を一方では確かに持ちながら、被援助者の現存の必然性をまずは受けとめる、ということが基盤である。
引用:村瀬嘉代子(2009).対人援助とは,対人援助の技とこころー心理療法再入門(臨床心理学増刊第1号)金剛出版
村瀬先生はレジェンドなので、同じようにはできませんが、エッセンスとしては、学校の先生に共通する専門性だと思います。
また、このような姿勢は、相手が児童生徒の場合だけ、意識して切り替えられる態度ではないと思います。
例えば、日常で、コンビニの店員(の立場にある人)と接する態度や、
SNS上の顔が見えない(けれど存在する)人とかかわるときの言葉遣い など
学校外を含めたあらゆる場面で、相手が誰であろうと、内面から自然と現れる態度なのではないでしょうか。
つまり、先生の普段からの在り方や人間性が、大きく影響するということです。
そのような態度を身につけたいと思った先生は、
まずは、隣に座っている先生や、これから最初に会う児童生徒に対して、
丁寧なコミュニケーションを心がけてみてはいかがでしょうか?
児童生徒に限らず、誰に対しても
「人を人として遇しているか?」と問い続ける

まとめ
- 児童生徒は大人と同じ一人の人間であることを確認すると、多くの違和感を感じられる
- 特に、問題行動を指導する場面では、児童生徒に対して敬意と配慮を持って接する
- 児童生徒が現状に至った事情や必然性を受け止めることこそが、対人支援の基盤となる
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!